時には一度の過ちで歴史に永遠に悪名を残すことになる。 1857年3月6日、米最高裁判所は、「道が歴史に残るほど不公正な判決を下し、世間の笑い物になった。 その判決はまさに「ドレッド·スコット(Dred Scott v. Sandford)」判決だ(60 U.S. 393 (1856))。 この判決で米国最高裁は「黒人は米国市民になれない」という驚くべき判決を下した。事件はこうだ。 黒人奴隷「ドレッド·スコット(Dred Scott)」の主人は、彼を奴隷制度を陳情するミズーリ州から奴隷制度が不法なイリノイ州とウィスコンシン準州に連れて行った。その後、彼の主人が後で彼をミズーリに再び連れてきた時、スコットは彼の自由のために訴訟を提起した。
彼は彼が「自由」地域に連れて行かれたために自動的に奴隷身分から解放されたので、法的にはもはや奴隷ではないと主張した。 スコットはミズーリ州裁判所に先に訴訟を起こしたが、ミズーリ裁判所は彼が依然としてその法律に基づいて奴隷であると判決した。 すると彼は米国連邦裁判所に再び訴訟を提起し、連邦裁判所は該当事件にミズーリ州法を適用しなければならないと決定し、それに対する判決を下した。 敗訴が繰り返されると、最後に彼は米最高裁判所に控訴した。 すると、この判決が出たのだ。
この荒唐無稽な判決は、米最高裁判所が当時奴隷制度を擁護した南部の顔色をうかがった結果だろうが、この悪名高い判決が出てわずか4年足らずで、米国は黒人奴隷制度をめぐって南北が分かれ、互いに残酷な内戦に巻き込まれることになる。 南部の人種差別主義者たちはドレッド·スコット事件の勝訴を喜んでいたが,彼らの喜びは長続きしなかった。 南北戦争で敗北した彼らは、戦争ですべてを失い、灰の中で再びスタートすることになった。
黒人を国民と見るどころか、動物や財産と見るという、このようなとんでもない主張を裏付けた当時の最高裁判所の人間たちは、いったいどんな者たちだったのだろうか? ドレッド·スコット判決を導いた最高裁長官ラジャー·タニー(Roger Brooke Taney)氏は後日、自分は黒人奴隷制度に反対したが、単に裁判所や連邦政府がその問題の解決に乗り出すべきではないと考えたというふうに主張した。 しかし、このいい加減な言い訳は、彼が南北戦争という恐ろしい内戦を見て言った言葉なので、あまり信じられない。
しかし裁判官は判決で言うのだ。 タニー氏がいくらでたらめな言い訳をしても、彼は時代錯誤的な人種主義者であり、白人至上主義者だった。 もし、ドレッド·スコット事件でタニー裁判所が別の判決を下したとすれば、それで奴隷として苦痛を受けた黒人を人として、そして米国の国民として認めたとすれば、もしかしたら米国はその恐ろしい内戦を避けることができたかもしれない。 しかし、谷氏は予想通りの判決を下した。 彼は黒人奴隷を搾取した裕福なメリーランド農場主の息子として生まれ、黒人奴隷たちの涙と血で築いた財産を享受した者だった。 そのような者としては奴隷制度を守ろうと最後までもがくのが当然のことだっただろう。 この点で、どうして下部構造が上部構造を決めるということが正しいのだろうか?
恐ろしい内戦の導火線になったドレッド·スコット判決は後々まで悪口を言われ、同時にタニー氏も今日まで彼の誤った判決に対してあらゆる非難を受けている。 今日、多くの人々は、タニー氏に対して言えば、巨大な変化の嵐が押し寄せるにもかかわらず、ただの小さな既得権を守ろうともがいた法技術者にすぎない者だと非難する。(Solong, Taney: Bust of justice who wrote notorious Dred Scott decision removed from US Capitol)ところで、そんなタニー氏も生前は敬虔な宗教人で尊敬される地域社会の有志だったとは、実に虚しいことだ。